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胃の激しい痛みに
胃腸炎と診断され
5日間白米のみという食事療法をすることになった私だが、

当然白米だけなんて
食べ続けられるわけがない。
でも、
下手なものを食べると激痛が襲ってくるので
とりあえず
薄味のおじやにしてみたり
うどんにしてみたり

炭水化物ばかりを食べていた。

それでも、
ちっとも良くならない。
とくに
朝起きた時の胃が空っぽの状態のときの苦しさといったら
筆舌に尽くしがたい。
それも
一晩寝れればよいが、
だいたい
夜中の3時くらいには空腹と痛みで目が覚めて
痛みをこらえながら
残しておいたおかゆを
少し食べる。

おかげで、
この5日間で体重が激落ちし、
大人になって初めて44キロ台の
最高(最低?)記録を達成。

体重が落ちても
元気が出ないので
嬉しくもない。

そして今日
また医者に行った。

「言われたとおり、ごはんばっかり食べたけど、
 酷くなる一方なんですが・・・」

「あ、そう。じゃ、横になってみて」

みぞおちの部分を触られると痛い。

「おなかがすいたときとか、朝起きた時は、激痛なんです。
 背中のほうまで痛みが来るし。。。」

「じゃ、おそらく
 十二指腸潰瘍だね。薬を出しておくから」

「その薬ってどういう薬ですか? 
 ただの痛み止めだったらイヤなんですけど」

「胃酸を押さえて潰瘍を治す薬と、菌を追い出す薬が入っているから」

十二指腸潰瘍はストレスが原因の事もあるが
ピロリ菌という菌に感染して起こる場合が多いらしい。

「これ一週間飲んでみて。
 それで治らなかったら胃カメラだから
 胃カメラは検査代が異常に高いし
 飲まずに済むんだったらその方がいいでしょ?」

日本だったら
まず
胃カメラで検査してから診断するんだろうな
と思いながらも
胃カメラを飲まずに済むことが嬉しい。

3種類の薬が1週間分処方された。

値段を見てびっくり。

65ドル。

日本円でだいたい6000円くらいだろうか。

しかし
ここはオーストラリアのいいところ。

一定の所得以下の家庭には
ヘルスケアカードというものが政府から支給され
こういった
処方箋の薬が安くなるのだ。

私が払った金額は
なんと
6ドル。
日本円で500円くらい。

すっごい得した気分。

ちなみに
この間9ドルの薬を買ったときも6ドルだった。
その時はあまり
ヘルスケアカードの有難みを感じなかったが。。。

家に帰り
お得にゲットした薬を早速飲む。

さすが
薬の威力はすごい。

痛みが完全に消えたわけではないが
明らかに
あの空腹時の激痛が緩和された。

それでも、
相変わらず
食欲はなく、
あまり力は出ない状態だけど
とりあえず
激痛から解放されたのが嬉しい。

この調子なら
2,3日で
普通の食事が出来るようになるかも!

でも、

この5日間
アルコールもまったく飲まず
かなりの量を飲んでいたコーヒーも一口も口にせず、
油物も、添加物も一切取らなかった。

体重の激落ちで力はでないが
結構
肌の調子はいいし、
なんといっても、
あの
朝起きた時の口の中のネバネバ感がまったくなくなったことに
驚いた。
それに
あまり食べてないし、動いてもいないので
便秘になるかと思いきや
これが結構快腸。

普段
どれだけ胃に負担をかけながら
過ごしていたかを痛切に感じた。

まだ完治はしていないが
今回の事を教訓に
もうちょっと
食生活について
考えようと思った。

のど元過ぎれば、、、
にならないといいんだけど。

ついでに
英語のお勉強

十二指腸 duodenum(デュオディナム)
潰瘍 ulcer (オルサー)
胃潰瘍  gastric ulcer (ガストリック オルサー)
胃カメラ endoscope (エンドスコープ)
処方箋 prescription  (プレスクリプション)


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2012.04.07 Sat l オーストラリアの医療 l コメント (16) トラックバック (0) l top
突然、胃腸炎になってしまった。

最初は
食あたりかと思って
一生懸命に正露丸を飲んでいたが
一向によくならず
痛みがだんだん
胃の方に集中するようになり、
ある夜
七転八倒の痛みが襲ってきた。

医者に行き、
事情を説明し
舌を出せというので
舌を見せると

「うん、間違いなく胃腸炎だ。」

と断言された。

まぁ、そうだろうなと思っていたので
すぐに納得したのだが、

「というわけで、
 5日間白米だけを食べるように!」

「え、、、5日間ですか?」

「そう、パンもパスタもダメ!
 白米が一番消化にいいから白米だけを食べるように」

「でも、なんか、痛み止めとかそういうの
 処方してくれないんですか?」

「白米さえ食べてれば、急激な痛みに襲われることはないはずだから」

「でも、あさってには私仕事にでないと・・・
 なんか薬ほしいんですけど・・・」

「仕事? だめだめ!
 これは、ウィルスで人に移るから絶対にだめだよ」

「え?移るんですか?」

「そうだよ。だからあんたの娘も同じ症状でここにいるんでしょ」

実は
私と同じ頃からミーナも腹痛を訴え始めていたので
一緒に医者に来ていた。
我慢できないほどの痛みではなさそうなのだが、
やはり
食事をするとシクシク痛み始める。

「というわけだから
 2人とも5日間白米だけね」

私とミーナの2人で
胃腸炎と診断され
5日間白米のみという宣告を受けて帰ってきた。

ミーナが

「ご飯だけだって・・・」

「そうだね・・・」と私

「ママとミーナちゃん日本人でよかったよね」

「あ、そ、そうだね」
(あんたは半分オージーだけどね・・・)

さっそく家に帰り
おかゆを作る。

おなかがすくと、胃酸が胃を荒らすので
こまめに少量ずつ食べないといけない。

でも、
夕方になれば何か他のものも食べたくなってくる。

なにより
私にとって
ご飯を食べた後欠かせないのが日本茶だ。

「ねぇ、ミーナちゃん
 ママお茶飲みたいんだけど・・・」

「ダメだよ!先生がお茶もダメっていってたでしょ。
 水のみなよ」

「はい。。。」

おとなしく水を飲む。

胃の痛みが襲ってこなければ
通常の健康体。

白米だけじゃおなかもすく。

つい
冷蔵庫にあったカステラを一切れ食べる。

そして、
七転八倒の痛みに襲われる。

今日になって
朝は多少の痛みがあったが
日中は割りと大丈夫だった。

つい
そろそろ治ってきたかな?
と思い、
旦那が買ってきたチャーシューやら
冷蔵庫に会ったサラダなどを
ムシャムシャ食べる。

そして、
七転八倒の痛み。

とくに
冷たいサラダはよくなかったようで
誰かが私のおなかに手を入れて
胃をギューッと搾っているような痛みに襲われた。
出産直前の陣痛に匹敵する。

やっぱり医者の言う事は
聞いておくべきだ。

さすがにおかゆだけを食べた時は
痛みに襲われない。

あ~あ

おじやにしたり
アレンジは出来るかもしれないが
やっぱりご飯だけはきつい。
でも
胃の痛みはもっときつい。

早く治る事を祈るばかりだ。

ちなみに

英語で胃腸炎は
Gastroenteritis(ガストロエンタライシス)
激痛、急激な痛みは
Acute Pain(アキュート ペイン)
感染性のあるは
Contagious(コンテージャス)
胃酸は
Gastoric acid(ガストリック アシッド)
ウィルスは
Virus(ヴァイルス・ウィルスでは通じない)


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2012.04.04 Wed l オーストラリアの医療 l コメント (14) トラックバック (0) l top
いよいよ最終回。

出血が始まり救急外来へ行き、
翌日には心拍がないことが分かり
流産が確定してから
1週間。

ちょうどミーナのスクールホリデーが始まった事もあり
忙しさがちょうどいい具合に
気を紛らわしてくれた。

肉体的には、相変わらず疲れやすいということや、
出血も微量だが続いている状態で、
精神的には
ほぼ元通りだった。

病院のEPACのナースと話し合い、
もう一度エコーを確認してから
胎児が残っていれば手術をするということになっていた。

ナースが言うには
出血や腹痛の少なさから
おそらく胎児はまだ残っているだろうという判断だったので
私もそれを信じていた。

死んだまま私の子宮内に1週間も胎児がいるという状態に
違和感を感じざるを得ない。

とにかく手術でも何でもいいから
この状態を終わらせて
先に進みたい
それが正直なところ。

さて、
病院でまず血液検査を済ませ
その後エコーをとりに行く。

しばらく待たされたが
ようやく名前を呼ばれた。

しかし!!!

私の名前を呼んだのが
20代と思われる若い男性。

ちょっと長めの髪に
日焼けした肌。
シャツは病院のユニフォームだが
下は短パンとサンダル。

ビーチでちょうどサーフィンを終えてきたような
お兄ちゃんに
エコーをとってもらうの!!!???

薄暗い個室に通され
「はい、そこに寝て」
とお兄ちゃんに言われる。

どうしても
やましい想像をしてしまう私。。。

「じゃ、ズボンを下げておなかを出して」

と言われ
ドキドキしながら
ズボンを下げる。

何食わぬ顔でエコーの機械をグリグリと私のお腹に押し付けるサーファー。

しばらくして
エコーの画面を私に見せながら説明をしてくれた。

どうやら
子宮の中の胎児はもういないらしい。
いつの間にか出てしまったようだ。
でも、
まだ子宮内に何か残っていて
それが、何なのか、どのくらいの大きさなのかが
このエコーだと分かりにくいらしい。

「どうも、あなたの子宮の形だと経膣超音波のほうが
 はっきり見えるようですね。
 経膣超音波は経験ありますか?」

と聞いてくる。

ドキドキしながらも
思わず

「私、処女です。」

と言ってしまいそうになる。

「あ、はい。やったことあります。。。」
と自分を取り戻し答えると、

「じゃ、女性のナースを呼んでくるから
 待っててください」
と言われた。

あ、よかった。

薄暗い密室で、サーファーの兄ちゃんに経膣超音波をやってもらうのは
いくら私でも
嬉しすぎる
恥ずかしすぎる。

しばらくすると
女性のおばあちゃんナースがやってきて
ガウンに着替えて
下着を脱ぐように指示した。

でも
その横では
サーファーがエコーの準備で
経膣超音波用の棒にジェルを塗りたくり

「これ、自分で入れる?」

なんて聞いてくるではないか!

また、おかしな想像に走り
別の世界に入り込んでいる私に
女性のナースが

「人によっては恥ずかしいので
 入れるところだけ自分でやりたがる人がいるんですよ」

と説明した。

そういや、
先週のエコーの時も同じ事を言われたが、
若い男の前で
こんなものを自分で入れている姿は
とてもじゃないけど見せられない。

女性のナースに入れてもらうことにした。

でも、
エコーをとるのはこのサーファー技師。
いったん入れ終わると
サーファーが交代し
棒をグリグリと動かしながらエコーをとる。

変な声を出さないようにしなきゃ!!!

必死に自分を抑える私が
とても緊張しているように見えたのか、
おばあちゃんナースが色々と話しかけてくれた。

無事エコーが終わり、
服を身につける。

その後同じ病院内にあるEPACへ行く。

超音波の結果は、サーファー技師から直接
EPACのナースへ報告が行くようになっていた。

で、結果は
子宮から胎児はもうすでに出ていたこと。

子宮内に何か残っているように見えたのは、
残留物ではなくて、胎児やその周りの組織が子宮壁から剥がれ落ちた後の
出血や水分が流れている様子だったらしい。

なので、
手術はしないことになった。

後は、
出血が収まり、2,3週間後に無事生理がくれば
完全に元通りとなる。

血液検査の結果も、
妊娠ホルモンがまだ血液中に残っているけど、
先週から比べて
急速に減っているから、
この状態の減り方で
0になればOK。

そして、
流産してから4回ほど血液検査をしているが、
どれも
白血球が異常なほど低い。
たぶん流産の影響だと思うが、
この
白血球の数値と妊娠ホルモンの数値をモニタリングするために、
しばらくは
GPで血液検査を週一回するように言われた。

出血はこの4日後
流産が始まってからちょうど2週間がたった頃だったが
ピタリと止まった。

血液検査もGPへ行き受けた結果
妊娠ホルモンは0ではないが、9まで下がり
この下がり方だったらもう一度血液検査を受けなくても
もう大丈夫だろうと言われた。
白血球の数値は
前をたいして変わらず低いままだったが
まあ大丈夫だろうと言われた。

何でもとりあえず大丈夫というGPだ。

というわけで、
2週間で私の流産騒動は幕を閉じた。

あっけないものだ。

今となっては
夢の中の出来事のよう。

思えば
一番出血が多かった日。
あの時でた血の塊が私の赤ちゃんだったんだろう。
まさか胎児とは思わず
くるくるとナプキンでくるんで
ゴミ箱に捨ててしまった。。。
本当は
土に埋めてあげたかったのだが・・・

今回の経験で初めて
あまりにもたくさんの女性が同じ経験をしていると知った。
でも
同じ経験ではあるものの、
人それぞれドラマがある。
人それぞれ乗り越え方がある。

私は、旦那と二人の子供達に支えられた。
そして、
今まで当たり前と思っていた、
妊娠して五体満足の健康な子供を産むということが
奇跡に近いことだということを知った。

子供が大きくなるにつれ
色々と期待が大きくなってしまうが
本当は、
産まれてきてくれるだけでありがたい。
健康でいてくれるだけでありがたい。
そういう気持ちを
思い出させてくれた。
そして、
家族の大切さを
再確認した。

たったの二ヶ月という短い期間
私のお腹に宿った命は
この世に産まれてくることはなかったけど、
私に大切なものを教えてくれた。

ありがとう。

あなたを見ることは出来ないけど
あなたは私の中で永遠に生きています。

おわり。


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2011.10.12 Wed l オーストラリアの医療 l コメント (12) トラックバック (1) l top
しつこいほど続く流産日記。
そろそろ終盤。

さて、
エコーで心臓が動いていないとわかり
流産が確定したようなものだったが、
それでも、
もしかしたら
何かの間違いでは?
という気持ちが10%くらいは残っていた。

そんな私の小さな希望をよそに
出血は増える一方。

そして、
翌日の朝。

目覚めると
かなりの量の出血があった。
そして
塊のようなものも。

胎児が出てきたんだろうか?
とよく見てみたが
そういう形はしていなくて
ただの血の塊という感じ。

そして
この日の昼、
EPAC(Early Pregnancy Assessment Clinic)
のナースから電話がかかってきた。

「昨日ロビーナの病院の救急外来から連絡がきましたが、
 今回は残念でしたね。
 体調はどうですか?」

昨日の今日ですぐに連絡が来ると思っていなかったので
ちょっとびっくり。
のんびりしたオーストラリアも
こういうところは迅速な対応をとってくれるのが嬉しい。

「実は今朝、かなりの量の出血があったんですが、
 それっきりまた落ち着いて
 今ではそんなに出血していません。」

「腹痛は?」

「ほとんどないです」

「胎児が出てくるときは、たいていかなりの出血と腹痛を伴うものなので
 もしかしたら、
 これからそういうことが起こると思うけど、 
 あまりにも痛みがひどかったり、出血が止まらない場合には
 私達に連絡してくださいね。
 ところで、
 コバさんには、手術で胎児を出すか、自然に流れるのを待つか
 選んでもらう事になるんですけど、
 どうしたいですか?」

「どうしたいといっても、よくわからないし、
 まだ希望も捨て切れなくて・・・」

「そうね、まだ気持ちの整理もついていないかもしれないし、
 また明日連絡するので、
 そのときに話し合いましょう。
 お大事にね。」

日本の場合は、
流産した場合、ほとんどの場合が胎児をとりだす手術をして
その後、
子宮収縮剤を飲まされるらしいが、
こちらでは
手術をするか、しないかは自分で決める事が出来るらしい。

翌日もナースから電話がかかってきたが
電話で話していても埒があかないので、
翌週の月曜日に直接クリニックの方で会うように予約をした。

この時点での体調。

出血はあの朝以来
大した量は出ていない。
腹痛は
時々しくしくとした感じがあるだけで
痛みというほど痛くない。
そして
精神的なものなのか、
流産のせいなのか、
ものすごく疲れやすい。

それだけだった。

ただ、
今胎児がどういう状態になっているのか
それだけが気がかりだった。

日本で流産後、すぐに手術をするのは
死んだ胎児をいつまでも子宮に残しておくと
子宮が炎症を起こしたり、
また炎症がひろがると卵管が癒着を起こして
不妊症になる恐れがあるかららしい。

私としても、
悲しいし、かわいそうという気持ちはあるが、
死んでしまった胎児を
いつまでもおなかの中には入れておきたくない。

でも、
義母の友達の娘で
流産したので手術をしようとしたが、
手術直前のエコーで
心臓が動いている事が確認されて
すぐに手術を中止したという
奇跡のような話もある。

もしかしたら
そんな奇跡が私にも起こるかもしれない。

色々な思いが入り混じり
とにかく
EPACのナースと話し合いをするのが
待ち遠しかった。

そして、
予約の日。

サウスポート病院の救急外来の一部がこのEPACのクリニックになっていた。

とても
優しそうなおばさんがナースだった。

これまでの
出血の様子や、腹痛の様子を話す。

「今の話の様子だと、たぶん胎児はまだ出てきていなさそうね。
 普通はかなりの腹痛と出血が伴うはずだから。
 自然に流れるのを待てる期間は
 だいたい流産が確定してから12日以内なの。
 それ以降になると、子宮の炎症などのおそれがあるので
 手術をすすめることにしているのよね。」

「変なこと言ってると思うかもしれないですけど、
 今でも、もしかしたら?って気持ちはあるんですよ。
 せめてもう一度エコーを受けさせてもらって
 本当に胎児の死亡を私の目で確認したら
 すぐに手術を受けたいです。」

「そうね、気持ちは分かるわ。
 じゃあ、木曜日にエコーの予約をとって、
 そのときにまた話し合いましょう。
 ただね、
 ここにあなたが先週の救急外来で採血した血液検査の結果が送られてきたんだけど、
 この血液中の妊娠ホルモンの数値、
 この時点で本当は1万以上はあって普通なんだけど、
 ちょうど7週目くらいの数値しかないのよ。
 ってことは、
 7週で成長が止まっていたと考えられるのよね。」

7週と言ったら
ちょうど医者に行って、妊娠が確定し、
周りの人に
報告し始めた時だ。
みんなにおめでとう!
と言われているとき
胎児はすでに異常な状態になっていたのだった。
あまりに
皮肉な現実に涙がでそうになった。

とにかく
次のエコー。
それさえ受ければ
全てが終わる。

出血も増える気配はないし、
おそらく手術になるとは思うが、
ここまでくると
早く終わらしたい。
そして
前に進みたい。

そんな気持ちだった。

それにしても
このEPACのナースも本当に感じのいいひとで、
私の悲しい気持ちから希望まで
優しく受け入れてくれて
理解を示してくれる。
話しているだけで
なんだか癒されていく感じで
クリニックから出るのがイヤだったくらい。

悲しい出来事の中でも
たくさんのいい人たちにめぐり合えたのは
本当に嬉しかった。

私の知り合いで
やはり9週目くらいで流産し、
彼女は私立の病院に行ったのだが
そこのナースに
「ま、これも妊娠の練習だと思っていればいいじゃない」
と軽い口調で言われたらしい。
彼女は
「今すぐ私の目の前から消えうせろー!!!!」
と怒鳴り散らしたらしい。

高いお金払って私立の病院に行って
暴言まで吐かれたら
私だったら
犯罪を犯してしまいそうだ。

公立の病院はタダというメリットもさることながら
結構対応もきちんとしているし、
特にシビアな症状には迅速に対応してくれる。
待ち時間の長さには辟易するが
医者の質も看護師の質も医療の質も
かなり高いと思う。

ところで
EPACを後にする時に
私がナースに
「日本では手術をするかどうかなんて自分で決めないですよ。
 医者が決めて
 患者はそれについていくんです。」

というと、

「えええー!? 
 だって、自分の体のことなのに
 どうして自分で決められないの???」

とかなり驚いていた。

国が違えば考え方も違うものだ。


↓次回こそ最終回。がんばるぞー!
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2011.10.07 Fri l オーストラリアの医療 l コメント (6) トラックバック (0) l top
自分の中ではすっかり終わってしまった
この出来事も
文字にしようとすると
なかなか進まない。

時間が癒してくれるのは事実だが
同時に
記憶も薄れてきてしまう。

だからこそ
ちゃんと記録に残しておきたい。

ほんのわずかの時間でも
せっかく私のおなかの中に宿った
命だから。

そんなわけで、
クライマックス。
(長いので覚悟して読んでね)

茶色い下り物だったのが鮮血にかわり
夜、急いで救急外来に駆けつけた。
とりあえず
胎児がまだおなかにいることは確認できたものの、
簡易のエコー(超音波)の機械だったので
心拍の確認ができない、
そして、
血液中の妊娠ホルモンが私の週数にしては
低すぎる。

という心配が残った。

そして、
翌日、
もう一度病院に戻り
本格的な機械でエコーをとることに。

これで
全てが分かる。

半分は諦めていたが
半分は、
「な~んだ、何でもなかったのか」
を期待していた。

どちらかと言ったら
何かの間違いだったという期待のほうが
大きかったと思う。
わりと
気楽に病院に向かった。

エコーで一番きついのは、
検査の1時間前に水をたくさん飲んで
しっかり
膀胱を満タン状態にしておかなければいけないこと。

トイレを必死に我慢している状態に
機械でおなかをぐいぐい押される。
これを拷問といわずして
何といおうか。

エコーを受ける場所に到着すると
とっても感じの良いおばちゃんが
「こちらですよ」
と案内をしてくれた。
そして
薄暗い部屋に入ると
若いおねえさんが準備をしていた。

さっそくベッドに横になり
おねえさんが
ゼリーのついた手のひらサイズの機械を
私の膀胱満タン状態のおなかに
ぐいぐい押し付けた。

エコーの画像を見ながら
さっきのおばちゃんとおねえさんが
「これがあれでどーのこーの」
と話している。
あまりにも小声なので聞こえない。

そして、
おねえさんが、
「あなたの子宮の形だと
 このエコーでは見えにくいのよね。
 経膣だったら、確実に見えるんだけど、
 経膣超音波はやったことある?」

と聞いてきた。

私の子宮は後屈しているため
おなか上からだと
なかなか見えないらしい。
そして、
経膣超音波。
ものすごく遠慮がちにおねえさんが聞いてきたが
日本では
ごく普通の事じゃないだろうか?
妊娠初期に日本で産婦人科に行けば
有無をいわさず
経膣超音波検査をして
胎嚢や胎児の確認をする。

あまりにも
申し訳なさそうに
経膣超音波をしていいか聞いてくるので
こっちのほうがびっくりした。

どうやら、
プライベートな部分だし、
違和感もあるので
嫌がる人がいるようだ。

私は全然構いませんと答えると
さっそく
トイレに行かせてくれた。
子宮の入り口から直接エコーをあてるんだから
もう膀胱は関係ない。

すっきりとして
また暗い部屋に戻ると
またおねえさんが準備をしていた。

今度は
下半身裸になるので、
ガウンを着せてもらい
膝のところにタオルをかぶせ
プライベートな部分があらわにならないように
細心の注意を払ってくれる。

こういう気遣いが嬉しい。

そして
おねえさんが
ジェルを塗った棒を私の前に差し出し

「自分で入れる?」

と聞いてきた。

え!?

自分で入れるって????

私がここのベッドの上で
ジェルを塗ったこの棒を
自分の中に入れるって
ちょっと

まずいんじゃない??

即座に
「いいです!
 そちらの方がプロなので
 やってもらえますか?」
と答えた。

「いいですよ~」
と快くひきうけてくれた。

人によっては
自分のプライバシーを死守するために
検査技師がたとえ女性でも
ぜったいにやらせない人も結構いるらしい。

びっくりした。

そして、

再び
さっきのおばちゃんとおねえさんが
食い入るように
エコーの画面を見つめる。
あっちから
こっちからと
いろいろな角度で見ながら
「あぁ、これだね、 
 やっぱり聞いてみなきゃだめだね」
とよく分からない事を
話していた。

そして
おねえさんのほうが神妙な面持ちで
「私達じゃ判断できない事があるから
 ボスを呼んできてこの画像を見てもらうけど
 いいかしら?」
と聞いてきた。
よく見ると
おばさんのほうも
妙に暗い顔をしている。

そして、
この病院のレントゲン科(超音波はレントゲン科の中)で一番偉い人
といっても
ずいぶん若い男性だったが
入ってきて
私の超音波の画像を覗き込んだ。

このとき、
待合室で待っていた旦那も呼ばれて
一緒に入ってきた。
そのときの旦那の不安そうな顔が
忘れられない。

神妙な面持ちのおばちゃんやおねえさんとは対照的に
その偉い男性は
かなり事務的に

「心臓が動いてないね」

と言った。

「9週に入っていればもう心臓は形成されているはずなんだよね。
 残念だけど・・・」

「たまたま写っていないってことは無いんですか?」
と旦那。

「簡易の超音波だったらありえるけど
 ここまで精巧な機械で写っていないとなるとね・・・」

「残念だけど・・・」

そういって
偉い人は去っていった。

確かに悲しいけど
半分は諦めていたから
「あぁ、やっぱり」
という気持ちだった。

それでも
何処かで、
「やっぱり間違いなんじゃないの?」
という希望がかすかに残っていたのも事実。

つまり
私は混乱していたんだと思う。

その後
もう一度救急外来のほうに行って
医師と話をするように言われた。

その救急外来に向かいながら
なんか
足元がふわふわして
まるで
全てが夢の中の出来事で
朝起きたら、
「な~んだ夢だったのか」
といってそうな感じ。

それでも
一緒にいたリサが
「おなかすいた~」
「何か食べたい~」
「つかれた~」
と文句を言うたびに
あ、
これは現実だったと認識する。

そして
現実と気付くと涙がどっと溢れてくるが
すると
元の生活に戻るだけだよ
と自分を慰めるもう1人の自分が出てくる。

頭の中がグチャグチャでわけが分からない。

リサも疲れてきて
だんだん愚図ってきたが
むしろ
それが私の平常心を保ってくれたのが
なんとも皮肉だ。

昼間の救急外来も込んでいた。

昨夜と同じように
名前が呼ばれて中に入り
看護婦さんと話をする。

私のエコーの結果がこちらに送られているので
看護婦さんは
極めて同情的。

体温、血圧を測り
腹痛は無いか、
出血用のナプキンは必要でないか
聞いてくれて、
そして
「ソーシャルワーカーと話をする?」
と聞いてきた。

ソーシャルワーカーは
流産や死産、また
大病を患って大手術をした人などに対して
精神的ケアを行ってくれる人のこと。

そんなことは分かっていたのだが
混乱中の私。

「話をするって、流産の話をするんですか?」
と当たり前のことを聞き返し
そして、
ワッと泣き出してしまった。

なんでこの場面で泣くんだろうと
自分でも不思議だったが
冷静になろうと
あまりにも自分を押さえつけてしまっていたのかもしれない。

看護婦さんも
「I’m so sorry」
(この場合のソーリーはごめんなさいではなく、お気の毒でしたの意味)
といいながら
ティッシュを差し出してくれた。

「すみません、、、 
 ソーシャルワーカーと言われても、
 まだ、どうしていいか分からなくて・・・」

と言うと、

「そうよね、
 話し合える旦那さんや家族がいれば、それでいいと思うわ」

と看護婦さんの優しい口調。

「じゃ、この後医師のほうから話があるので、
 また待合室でまっててね。」
そういって、
泣きながら鼻をかみ続ける私の肩に
ポンと手を置いた。

私よりはるかに年下と見える
若い看護婦さんだったが
特別な事はしないまでも
私の状況を理解して
センシティブな対応をしてくれた事は
今でもすごく感謝している。

そして、
長い事待って、ようやく医師との話。

医師と言っても
あくまで
救急外来の医師。
産婦人科の医師ではない。

「今回の事は残念でしたね。 
 ところで、
 今後なんだけど、とりあえず
 この病院には産婦人科は無いので
 サウスポートの病院のEPACというところに行ってもらいます。
 あと、
 流産後の胎児を手術で出すか、自然に流れるのを待つか
 決めてもらわないといけません。
 そういったことも含めて
 EPACと相談してください。」

ゴールドコーストには公立病院が二つあり
ロビーナとサウスポート。
家からはサウスポートのほうが近いのだが、
救急外来がサウスポートより空いているという話を聞いて
ちょっと遠いロビーナまで行く事にした。
皮肉にも
そこには産婦人科は無いのだが
たとえ、産婦人科のあるサウスポートに行っても
同じ結果だっただろう。

そして、
EPACというのは
「Early Pregnancy Assessment Clinic」
と言って、
妊娠初期に起こる色々な問題に対処してくれるクリニックだそうだ。

そんな便利なクリニックがあるなんて
知らなかった。
知っていたらGPなんか行かずに
こちらに直接来れたのに。。。

さっきの看護婦さんとは違い
極めて事務的に話を終えた医師。
これ以上
ここにいる必要もなく
病院を後にした。

そして、

病院のドアを一歩出たとき、

目の前を女性が通りかかった。

その女性
私と旦那を見るなり
「あら~、どうしたの? 
 そういえば
 昇級テストに来てなかったけど、大丈夫???」

と言うではないか。

よく考えてみると
テコンドーの女性インストラクターだった。
(ちなみに彼女は黒帯2段)
違う道場で教えているので
習った事は無いが、
昇級テストでは顔を合わせていた。
でも
話をするのはこれが初めて。

なんて言っていいのか分からず
黙って立ちすくむ私に
彼女は
「大丈夫?」
と聞いてきた。

「あ、はい。。。
 実は妊娠をしていたんですけど
 あの昇級テストの日から出血が始まって
 今日流産だと分かったんです」

というなり
また
わーっと泣き出してしまった。

女性インストラクターがすかさず
ギュッとハグをしてくれる。

「I’m so sorry。 
 悲しいわよね。
 でも、こういうときこそ心を強く持って!
 頑張りなさい!!」

さすが、
黒帯2段は慰め方が力強い。

そして、

「ここの病院の対応はどうだった?
 嫌な思いしなかった?
 受付とか、看護婦とか大丈夫だった?」

と聞いてきた。
たぶん彼女は
ここの病院で働いている人なんだろう。

「幸い、みんな親切な人ばかりで
 助かりました」

「そう、それならよかった」

そして
ニックを見るなり

「ちゃんと奥さんを支えてあげなさいよ!」

と、
さすが
黒帯2段は旦那への励まし方も違う。

それじゃ、
といって分かれた後も、
旦那と二人でこの偶然にただただ驚くばかり。

「すごい偶然だよね~」
なんて普通に話しながら
なぜか突然悲しくなり
ダーッと涙が溢れてくる。

「おなか空いたね、何食べようか?」
なんて話していても
突然また悲しくなり
ダーッと涙が溢れてくる。

結局この日一日、
何をしていても、
普通にしていても、
突然ダーッっと涙が出てくる
その繰り返しだった。

感情がもはや
制御不能に陥っていた。

そして、
その夜
ミーナに流産の事を告げると
ミーナは、それこそ制御不能なほどに泣き喚いた。

でも、
子供達の手前
思う存分に泣き喚けない私の分も泣いてくれたようで
ミーナを慰めながら
平常心を取り戻しつつある自分を感じた。

大丈夫
大丈夫

悪い事の後には、必ず良い事が待っているから。。。

ようやく長い一日が終わった。


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2011.10.03 Mon l オーストラリアの医療 l コメント (16) トラックバック (0) l top
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