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誰にでもある、
一つや二つ。

どこにいても、どんな時でも
これを思い出すとつい
笑ってしまう思い出。

私もいくつかあるが、
その中でも、
強烈なのが一つ。

祖父の臨終。。。


もう、かれこれ20年ほど前。

若い頃に結核にかかり
その手術で肺が一つだけになってしまったわりには
やたらに元気な母方の祖父。

声が大きくて、
いつもポジティブ。
私達が何をしても
「そうか、そうか、
 そりゃ~すごい!!」

「えらいぞ~」

と褒めてくれる。

私が中学受験を控えていたころ、
「お前なら大丈夫だ! 
 なんたって、
 お前には、おじいちゃんという
 後援会会長がついているんだから!」
と言ってくれてたっけ。

あの頃の私、
「後援会」
という言葉の意味が分からなかったが、
祖父の応援が心強かった。

そんな祖父、
いつまでも元気でいるのが当たり前のように思っていたものの
87,8歳だったか
覚えていないが
ある時急に寝込みだした。

病気ではなくて
老衰だったと記憶しているが、
ボケることなく、
ずっと自宅で過ごし
最後の2,3日だか、1週間だかを
病院で過ごした。

そして
いよいよ
意識がなくなり病院から
もう危ないから、、、
という連絡を受け、
家族全員で祖父のところに向かった。

祖母、叔母(母の妹)、
私の両親、
私と、二人の兄。

7人で駆けつけたとき、
まだ息はしていたものの、
もう、
意識はほとんどなく、
もちろん
話せる状態ではなかった。

脈を示すモニターを見つめながら

「どうか、数字が減りませんように!」

必死に祈った。

しばらくすると
「ゴォー、ゴォー」
という
ものすごい音の呼吸音が聞こえてきて
びっくりして
医師を呼ぶ。

肺だか器官の動きが弱くなってくると
この音がし始める場合があるらしく、
この音がし始めると
もうあとわずかの時間しか残されていない。

そう医師は言った。

モニターの示す脈も
徐々に少なくなっていく。

祖母が

「とうとう、お別れなんだねぇ・・・・」

そうつぶやきながら
祖父の手をにぎった。

ただただ、祖父の手をにぎりしめ
じっと祖父の顔をみつめる祖母。

涙で目を真っ赤にした母。

鼻をすする叔母。

じっと悲しみをこらえる
私と兄。

お葬式の手配をと
そわそわし始める私の父。

それぞれが、
それぞれの思いで
祖父との最期を迎えようとしていた。

少しすると
看護婦さんが神妙な面持ちで
部屋に入り、
かすかな脈をとろうと
祖父の手首に親指を当てていた。

1分でも長く
脈を打ち続けていて欲しい!
そう願いながら
看護婦さんににぎられた
祖父のか細くなった腕を見つめていた。


そのときだった。



「ブフォッ



一瞬何が起こったのか分からず
祖母と看護婦さんを除く
全員が目を合わせた。

「お前か?」

「いや、私じゃない」

「それじゃ、お前か?」

「オレじゃねぇ!」

口には出さないものの、
全員の目がお互いにそう言い合っていた。

それにしても、
でかすぎる!
シンと静まり返った部屋の中でするには
でかすぎるオナラだ!

おかしさがこみ上げ
全員の肩が震えだす。

ふと看護婦さんを見ると、
笑いをこらえるのに必死で
祖父の脈をとる手が
ブルブルと震えていた。

それをみると
ますます
笑いがこみ上げる。

どうしよう。。。

看護婦さんもいるし、
こんな場面で笑ったら不謹慎だ。。。

で、、でも、

超ウケる~~~ッ!!!

笑をこらえていた私達、
顔が
ものすごい形相になってきた。

そして、
たまりかねた私の兄が
病室を出て行ってしまった。

「犯人はアイツかっ!」

人の臨終でオナラをしておいて
しかも
逃げるとは
なんて卑怯なヤツ!!!

私も外に出たい!
外に出て、
思いっきり笑いたい!!

そう思っていると、
ようやく
脈を測り終えた看護婦さんが

「失礼します。 プッ

と言いながら
小走りで
病室から出て行った。

ようやく
全員気兼ねなく
大爆笑。

そして、
病室から逃げた兄も戻ってきた。

「もう、なんであんな場面でいきなりオナラするのよ!」

私達が責めると
兄は

「オレじゃねぇよ!」

え、、、

だって、逃げたからてっきりそうかと・・・

すると

「ごめんなさ~い、ちょっと出ちゃったわ~」

という声が。。。

なんと、、、

犯人は

叔母だった。

「なによ~、シレっとしてるから全然分かんなかった~」

「よりによって看護婦がいる、あのタイミングでするかなぁ!!!」

「あの看護婦、ぜったい部屋を出て行った俺だと思ってるぜ、
 どうしてくれるんだよ~!!」

「笑えなくて、死ぬかと思った~!!!!」

全員からの猛攻撃。

「だって、我慢できなかったのよ~。ごめんなさ~い。」

シレっと謝る叔母。

そんな大騒ぎをしている最中も
悲しそうに
祖父の手を握り締める祖母。

そう、

祖母は頭はしっかりしているが
耳が遠いので
何が起こっていたのか
全然知らなかったのだ。

ようやく
この大騒ぎに気付き

祖母が
「なんだって、あんたたちは
 人の死に目にギャーギャー騒いでるんだいっ!!」
と怒り出した。

事の次第を話すと
祖母も大笑いをしていた。

耳の遠い祖母にしてみたら、

自分の旦那の死の床で
いきなり
みんなが大笑い
という図。

そりゃ、
納得いかないだろう。


そして、
祖父は、この騒ぎの数十分後
旅立っていった。

これほど笑いに満ちた
人の臨終があるだろうか。。。

しかし、
自分の娘のオナラに見送られた祖父。

何を思いながら
天国へ旅たったんだろう。。。


この日の出来事は
20年経った今でも昨日のように
はっきり思い出せる。
そして、
未だに
思い出すたび大笑いしてしまう。

そういえば、
祖父の納骨。
祖父は生前すでに生まれ育った岡山にお墓を建ててあったので、
家族全員で骨壷抱えて
岡山へ向かった。

新幹線の個室をとり、
駅弁食べたり、
ビールを飲んだり、
納骨の儀式のあとは、
海の前の絶景ホテルに泊まったり。

私にとっては
すごく楽しかった最期の家族旅行の思い出となっている。

そして、
そのとき家族で撮った写真、
全員が満面の笑みで楽しそうに写っているので
母が
写真たてに入れてずっと部屋に飾っていた。

後年
その写真を見た私の旦那。

墓地で喪服を着ながら
満面の笑みをたたえている家族写真に
いたく驚いていたっけ。。。


↓私達に笑いを残していってくれた祖父に!
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2012.01.21 Sat l 思い出 l コメント (10) トラックバック (0) l top
私のメールはhotmailとyahooを使っている。

yahooは便宜上最近使い始めた一方、
hotmailメールのほうは、
オーストラリアに来て、すぐに登録して以来
使い続けている。

かれこれ7年弱。

ジャンクメールなどはすぐに消去しているものの
それでも、未開封メールは300近くあり、
何を思ったか
今日突然
受信トレイを整理整頓し始めた。

そして開いたページは
なんと、
2004年4月。
私がオーストラリアに来てすぐhotmailを開設した時。

一番最初に来たメールは
実家の母からだった。

おそらく私が
「これが新しいメールアドレスです」
と書いて送った
返信だったのだろう。

2004年4月11日 母より

「練習中」

そ、、、
そうだ。。

当時、母はコンピューターなどいじった事がなく、
まして
キーボードなんて打ったことがない。
ローマ字入力に四苦八苦してたっけ。

この
「練習中」という一言を入れるために
どれだけの時間を費やしたんだろう。。。

でも、
海外に渡った娘に対しての初めてのメールが
「元気?」とか「体の調子はどお?」(私は妊娠8ヶ月だった)
じゃなく、
「練習中」
とは、
なんとも母らしい。

そして、次のメール

4月13日 母より

「いい天気?」

おお~
「?」を使うとは、シフトキーを押すことを学んだのか?

それにしても、
海外に渡った妊婦の娘に対して
「元気?」とか「体の調子はどお?」
じゃなく、
天気の話題とは、
なんとも、母らしい。

そして、
なんと、
次のメールには
単語ではなく、
初めて、文章が書かれていた。

4月15日 母より

「今日おば茶間の独鈷路にいた、Kovaのこといろいろはなした。写真きれいといたいた」


・・・・・

努力は認めるが、
意味不明。。。

いったい何が言いたかったんだろう。。。

一生懸命記憶の糸をたどる。

おそらく、

「今日、おばあちゃま(私の祖母)のところに行った。
 Kovaのこと色々話をした。
(結婚式の)写真、(おばあちゃまが)綺麗といっていた。」

と言う事なんだろう。

それにしても、
ひでえな

文章が打てると、自信を持った母は
翌日にもメールをくれていた。

4月16日 母より

「御返しすべておわた。○○せんせいからへんげかきた」

へんげかきた???

う~ん、むむむむむ、、、

おそらく
この3ヶ月前の私の結婚式にご祝儀を下さった人たちへの
お返しが全て終わって、
その中の一人の○○先生から
さっそく返事がきたという事なんだろう。

この○○先生の名前まで間違って打たれているので、
思い出すのに時間がかかった。

ようやく母もキーボードに慣れてきたらしく、
その後のメールは
それ程頭を悩ますものではなくなっていた。

それでも
しばらくの間は
小さい「っ」の打ち方が分からないらしく、

「○○さんに、あなたがけつこんしたと報告した」
とか

「犬がさみしがつてるよ」
とか

そんな感じだった。

そして、

この母とのやり取りのところどころに
兄からのメールも入っていた。

4月13日 兄より

「おい!なぜ、オレ様にもメールをよこさないのだ!」

オレ様って・・・

4月18日 兄より

「まだ産まれないのか?
 本当は妊娠してるんじゃなくて
 う○こがたまっているだけじゃないのか?」

おいっ!
予定日は6月だ!!!

そして、
一度だけ父からもメールが来ていた

4月24日 父より

「母は今日めずらしく教祖様のところへは行かず、晩飯を早く作ってくれた」

き、、、
教祖様・・・????

そういえば、
日々欠かさず社交ダンス教室に通っていた母に対し、
父はよく
「今日もご信心に励んでおられますなぁ~」
と皮肉っていたっけ。
そして、
母のダンスの先生の事を教祖様と呼んでいた。

それにしても、
どいつもこいつも
「体調はどうですか?」
とか
「そちらの生活はどうですか?」
とか
「がんばってね」
とか
普通、妊婦の娘が海外に移住したら
言うだろうという言葉がない。

ってか、
妊婦の妹に
「う○こがたまってるだけじゃね~の?」
とか言わないだろ普通。

でも、
こんな直球勝負の毒舌ファミリーだが、
いつも言葉の裏には愛情がちゃんと隠れているのを知っていた。
言葉にはしなくても
たくさん心配してくれて
たくさん寂しく思ってくれていたんだと思う。

まだ、
祖母も父も犬も生きていて、
私の大好きな人が全員揃っていた。
家族を守ってくれていた父が亡くなって
私達一家が現実に直面するまでは
いっぱい、いっぱい笑顔があった。
そして、
私が子供を産んで母になる直前、
離れていても
私が末っ子の甘ったれの子供で居られた
最後の時間だった。

読みながら
笑ってしまったが、
同時に
7年という時の流れと状況の変化に
キュッと胸が痛くなった。

もう戻ってはこないあの時間。
でも、
確かにあの時はあったという証拠に
このメールはずっと大事に
とっておきたい。


↓う○こじゃなくてミーナが産まれてくれてよかった。。。
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2011.01.20 Thu l 思い出 l コメント (18) トラックバック (0) l top
ただの思い出話。

10年以上前、
私が海外添乗員をしていた頃。

たいてい
クリスマスは何処かの国で過ごしていることが多かったのだが、
その年は
仕事が入ってなく、
日本でクリスマスを過ごすことになった。

しばらく彼氏のいなかった私だが、
仕事は忙しかったし、
クリスマスも
日本にいることはほとんどなかったので、
別に
寂しいとか、
彼氏欲しいなぁとか
思うことはなかった。

しかし、
思いもかけず
その年は日本で過ごすクリスマス。

前にも書いたが
どうも
日本のクリスマスは
家族で過ごすよりも
恋人達のイベントという風潮がある。

ちくしょー
久々に日本で過ごすクリスマスが一人だなんてっ!


一人毒づいていると、

そこに携帯がなった。

「24日の夜は空いてますか?
よかったら、食事でもいかがですか?」

ウヒョー♪

男から、イブの夜に食事に誘われた~

いや、、、

でも、、、、、

ちょっと待てよ!!


・・・・・ 誰だ、こいつ???


必死に記憶の糸をたどる。

そうだ!

3週間ほど前に
会社の同僚に誘われていった合コンで知り合った男の子だ。

電話番号を交換した記憶はないが、
たぶん、私も酔っていたんだろう。

その後すぐに仕事のツアーが入っていて
10日ほど留守にしていたので、
すっかりこの人のことを忘れていた。

イブの夜は、一人だが、
存在を忘れてしまう程度の男と出かけるってのは
いかがなもんだろう。。。

30秒ほど悩んだが、
「OKです」
と返事をした。

この男の子は、合コンに誘ってくれた同僚の
高校時代の同級生という安心感もあった。

フフフ

これで、
イブの予定は埋まったぞ!

そして、
当日。

渋谷の駅で待ち合わせる。

「こんにちは~」

「あ、こんにちは~」

「ツアーから戻ってきたんですね~」

「戻ってきたから、今ここにいるんじゃろうが~!!!」

「あ、そうなんですよ~。おとといイタリアから帰ってきました~。ウフッ」

「じゃ、どこ行きます?何か食べたいものとか??」

「あ、私、場末の居酒屋がいいです~。ウフッ」

「えっ、、あぁ、、、い、居酒屋???
レストランとかじゃなくて、居酒屋でいいの???」

「いいんです~、なんか日本ぽいものがいいから~。ウフッ」

「そ、そうなんだ、、、じゃ、行こうか」

やっぱりイブの夜の渋谷は混んでいた。

でも、
ラッキーなことに
その男の子がよく行くという
居酒屋と言うよりは、
ちいさな小料理屋があって、
ちょうど、
そこのカウンター席が2つ空いていたのだ。

あっつあつのお絞りで
顔を拭く
手を拭く

「何飲む?ビールでいい?」

「あ、私、ビールじゃなくて、
焼酎のお湯わりの梅干入りにしてください」

「え!?いきなり焼酎???」

「変ですか?」

「い、いや、変じゃないけど、、ブツブツブツ

その頃、
仕事で飲むものと言ったら、
ビールかワインだったので、
日本にいるときは
日本にいる時しか飲めない、大好きな焼酎からはじめる事を
常としていた。

だいたい、
ビールから始めなきゃいけないってルールあるの?

コップに並々と注がれた
焼酎のお湯割り。
割り箸で中の梅干をガシガシと潰す瞬間が
たまらない。

恍惚とした表情を浮かべ
梅干をガシガシ潰す私に
驚きの視線をモロにぶつける彼。

そんなこたぁ、知ったことじゃない。

お酒が入るにつれ、
話も盛り上がり、
料理も美味しく
楽しい時間を過ごした。

クリスマスイブを
小料理屋で過ごす若者カップルというのは
あまり存在しないらしく、
その店は
私達以外
ほとんどが、
会社帰りのおっさん達だった。

別に私達もカップルと言うわけじゃなかったので、
周りのおっさん達と他愛もない話をしながら飲んでいるのが
また居心地いい。 同化している私。。。

おっさん達の一人に
「いいねぇ~、今日は可愛い彼女連れちゃって~」
なんてからかわれている彼。

「いや~、あはははは」

おいっ!

こらっ!!

否定しろ~~!!!!

「私、彼女じゃありませんから~、ウフっ」

やはり
ここは明確にしておかなければならない。

そんなこんなで、
もう11時。

そろそろ店も閉まるし、
私の終電の時間もある。

この辺でお開きにして
店を後にした。

外のひんやりとした空気が気持ちいい。

思いもかけず
美味しい料理と
美味しいお酒で
楽しいイブを過ごせて満足だった。

酔いを覚ましながら
それほど遠くない駅を目指して
バカ話をしながら歩いていると、

突然、、、

彼が、

私の手をにぎってきた。。。。


なんか、
そうなる予感はあったものの、
あまりの想定通りの行動に
がっかり。

「な、、何?」 一応びっくりしたフリ。

「あのさぁ、、、、」

ほら、来た来た。

次に言う言葉も予想がつく。

「あの、、、

 ほら、、、

 その~、、、

 どっか泊まっていかない? 」


 「・・・・・」 

あえて、黙っていると、

「ほら、、、

 その、、、、

 今日はクリスマスだし、、、ねっ?」

おのれ~~~っ!!!

クリスマスだからって
慈善団体のように
私の体を寄付しろってのか~~~????

「あの、、、、、

 キッパリとお断りします!! 

少しは脈があると思っていたのか
その男は
うろたえ始めた。

「ええっ!?
 本当にダメなの?
 いいじゃん、べつに。。。
 本当にダメ??」

こういうみっともない男の姿に
酔いも一瞬で覚める。

「あのさぁ、
 あたし、別にあんたとヤルために今日来たわけじゃないんだよね。
 だいたい、あたしあんたのカノジョじゃないんだしさ、
 せっかく楽しかったんだから
 楽しいまま家に帰してよ!」

「え、、そうなの? 
 いや、、、
 イブの夜に会ってくれるってことは、
 今後付き合っていくつもりがあるのかと、、、」

「付き合うつもりがなかったら、
 イブの夜に男に会っちゃいけないわけ?
 ただ、一人モンどうし、
 楽しく飲むだけじゃいけないわけ???」

「いや、そういうわけでは、、、ボソボソ、、、

そして、
気まずい雰囲気のまま
駅で別れた。

その彼とはそれっきり。。。

その後、
同僚に

「ちょっと~!あんたの同級生、おかしいんじゃないの?
 どーたら、こーたら・・・」

と、事の次第を話すと

「そりゃ、あんたが悪いね!」

とバッサリ切り捨てられた。

「そりゃ、そうでしょ。あんたが悪いよ。
 普通、イブの夜に会ってくれるとなったら
 男だったら期待するんじゃないの?
 そんなつもりがないなら、イブに会っちゃダメよ。
 別の日にしなきゃ!!
 かわいそうに、○○君(その男の名前)
 普段気が弱いから、勇気を振り絞って誘ったんだと思うよ。
 やっぱり
 コバに紹介したのが間違いだったわ。。。
 あ~、かわいそうな○○君!!」

と言いたい放題。

おいおい
気が弱いヤツが
いきなり手をにぎって、ホテル行こうなんて誘うか?

いずれにせよ、

イブの夜に男に会うときは
心して会わなければならないらしい。ヤラぬなら会うな!

ま、
こういう機会は二度と訪れる事がないまま
10年以上経ち
また
今年もクリスマスイブを迎えようとしている。

現在は家族で過ごすクリスマス。

昔のようなドキドキ感はなくなってしまったが、
こうして
収まるべきところに収まった自分も
悪くはない。

それもまた、幸せ。。。

でも、、、

その事件の2年後
私がまだシングルの時、(旦那とは知り合っていたが)
彼が結婚するんだよ~
と同僚から聞かされた時は、
なぜか、ムショーに腹がたった。



↓誘い方にもよるのよね~
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2010.12.23 Thu l 思い出 l コメント (20) トラックバック (0) l top
昨日のつづきから。。。 長いので気合いれて読んで下さいね♪

現地に到着した私たちは、早速御勤め開始となるわけだが、
御勤めというのは、基本的には、お偉方の説教(宗教的な意味の)を聞くことがメインだった。

教祖様(この宗教の場合、教祖様はもう亡くなっていて、神様のような扱いだった)
がトップで、
その下に大先生。
そのさらに下が、先生と呼ばれる人たちがいて、
大先生は何人かいて、それぞれ交代で
午前3時間、午後3時間、大本堂でお説教をしてくれる。
そして、
先生と呼ばれる人はわりとたくさんいて、
いくつか並ぶ8畳くらいの部屋で、
それぞれ個別の相談をしてくれる。
その個別の相談は見学自由。
相談をどの部屋のどの先生にするかも自由。

というわけで、
ここに滞在している間、

全員そろっての朝の礼拝
朝食
大本堂での大先生によるお説教又は
先生による個別相談、又はその見学
昼食
大本堂での大先生によるお説教又は
先生による個別相談、又はその見学
夕食
全員そろっての夜の礼拝
就寝

そんな日程で毎日過ごすことになった。

昼過ぎに到着した私たちは
さっそく
大本堂でのお説教に参加。

フムフム、
内容は覚えてないが、
なかなかいい事言うなぁ~と感心した記憶がある。 

その後の夕食、質素だが、
みんなで感謝しながら美味しくいただく。
これも、なかなか悪くない。。。

そして、
夜の礼拝
これが困った。。。

なんか、よく分からない歌を歌わされるわ
手の振りだけだが、踊りまで踊らされる。
お説教まではよかったが、
こうなると、いかにも宗教ぽくて
引いてしまう。

それでも何とか礼拝もクリアし、
ようやく就寝タイム。

女子ばかりの大部屋で雑魚寝だった。

そして、
寝る前にも、一日の感謝を正座をし、三つ指ついて頭を下げて述べなければならない。
感謝の言葉を述べる前や、
食事を食べる前お祈り、
食べた後のお祈り、
かならず、冒頭で
キリスト教での
「天にまします父よ」
と同等の決まり文句
「○○様、ありがとうございます」
で始めなければならない。
今でもハッキリ覚えているが、
何の宗教かバレてしまう可能性もあるので、ここには詳しく書かないでおくが。。。

で、
周りのみんなも
畳に頭をこすり付けながら
「○○様、今日もありがとうございます。
なんちゃら、かんちゃら、で有意義な一日を過ごすことが出来ました。」
ここまでは普通だが、
このあと、
「明日は朝6時に起こしてください」
なんて、お願いまでしちゃってる!?

目覚ましまで、神頼み????

と思いながら、友人Sちゃんに
「それってあり?」
と聞くと、
「だまされたと思って、真剣にお願いしてごらん。
必ずその時間に目が覚めるよ。」
なんて言う。

バカァ言っちゃいけないよ!
あたしゃあ信じませんよ!! ええ、ええ信じませんとも!!

と思いながらも、
ちょっと真剣に
「朝6時半に起こしてください」
とお願いしてみた。

刺激の多い一日の疲れか
あっという間に夢の中へさまよいこんだ。。。

熟睡。

そして、翌日6時半ぴったりに目が覚める。。。

ま、こんな偶然もあるわよね。
でも内心ちょっとびっくり!

朝の礼拝は、
夕べの礼拝と同じように、
歌って踊り、短いお説教で終わる。

朝食は、夕べの夕食の残り。
食べ物を無駄に捨てるのはいけないという考えからだ。

無駄が無いのは、いいことなので、
私も気にせず美味しくいただく。

そして、昼食を除く午前と午後の時間。
私とSちゃんは
大本堂でお説教をきいたり、
先生の個別相談を見学したりして、過ごした。

私が見学した先生の個別相談では
ある両親と中学生の小太りの男の子が相談を受けていた。

どうやら、その男の子が、学校でいじめを受けて
登校拒否になっているらしい。
それに関して、先生が色々とアドバイスをする。
長い時間かけて、懇切丁寧にアドバイスをしていたが、
私が一番心に残っているのは

「いじめはもちろん悪いことだ。
いじめをする人間も悪い。
でも、自分にいじめられる原因があるということも気づかなくてはいけない。
いじめる相手を憎み、うちにこもってばかりじゃ、
何の解決にもつながらない。
いじめる相手が90%悪いとしても、10%は自分に責任がある。
その10%が何なのか、もう一度よく考えて見なさい。
それに気づいて自分を変えることが出来たら
いじめはきっと無くなります。
せめて、今日からは
そうやって背筋を丸めるのはやめて、
胸を張って堂々としなさい。
そうすれば、視界が広がって、
今まで見えなかったものが、見えてきます。」

というようなもの。

おおお~~~

良いこと言うね~!!先生~~!!!

こんなにありがたく、的確なアドバイスを貰った
その家族は、
畳に頭をこすり付けて
何百回もお礼を言っていた。

でも、私は見た!!

最後にその家族は先生に
お礼の菓子折りを差し出したのだ。
先生も、当たり前のように受け取る。
結構なサイズの菓子折りだ。
饅頭の下には、小判がギッシリ並んでいるのか?

越後屋と悪代官だなぁ。

「おい越後屋、そちもワルじゃのお~」
とにやけながら菓子折りを受け取る先生を想像してしまった。
だって、先生ってみんな着物着てるし。。。

話はすごくよかったけど、
やっぱり、貰うもの貰ってんだなと思ったら
またちょっと引いた。

Sちゃんに言わせると、
「別に相談にお金は要らないんだけど、
みんな気持ちとして、いくらか渡すのよ」

ふ~ん、そうなんだ。。。

「そうだ!コバも鼻血のこと相談してみたら?」
とSちゃん。突然のひらめき。

昨日から色々、わりといいお説教を聞いているために
確かに、相談したらいいかも。。。
と思った。

「で、いくら渡せばいいの?」
とSちゃんに聞くと

「だから、気持ちでいいのよ」
という。

早速財布から500円を取り出し、
相談に向かおうとすると

「あのさぁ、気持ちっていったって
500円じゃ気持ちにもならないわよ!
せめて1000円以上は出すのが礼儀よ!」
だって。

最低1000円以上出すのが礼儀な’気持ち’って何だよ

と思い、結局相談はやめておいた。
今思えば、1000円くらいなら行っとけば良かったと思ったが、
なにしろ、学生だったし、まだバイトもしてなかったし、旅行中だったし
100円でも貴重だった。
しかも、1000円払いたくない理由のもう一つの理由は

鼻血が出ていなかった!!

のだった。

それまで、2日以上出なかったことはなかった。
早い話、毎日鼻血がでていたのだが、
ここに到着してから、一度も鼻血が出ていないのだ。。。

ムムムムム。。。

これはいったいどう説明をつければいいのか、
やっぱり、ここは
パワースポットなのか!?

結局Sちゃんも
相談の無理強いをすることもなく、
また大本堂にいって、大先生のお説教を拝聴することにした。

この頃になると、
お説教を聴くのも慣れてきて、
大先生や先生の言葉をすんなり受け入れられるようになっていた。
さすが、こういう人たちの話は
勉強になる。
といっても、
今ではまったく記憶にないのだが、、、

礼拝の歌や踊りもばっちり!
食べる前や、寝る前の祈りの言葉もばっちり!

来て2日だが、
私だけ信者じゃないという違和感がまるでなかった。
そして、
ここでの決まりごとも、先生の言葉もすんなり受け入れられるようになっていた。

はっきり言って、居心地がいい。

ここには、大勢の人がお勤めに来ていたが、
先生にしろ、信者の人たちにしろ、
とにかくみんながみんな、優しい。

なんか、みんなニコニコしていて、幸せそうだった。

それまでの私だったら、
そんなニヤけた連中を見ていたら、
キモい!!
と思っていただろうが、
ここにいる間、
私が信者でないことを知っても
先生と呼ばれる人たちは
「まぁ、気楽に楽しんでいってくださいね~」
と言ってくれたし、
ほかの信者の人たちも
「私たち、怪しいものじゃないから大丈夫よ!楽しんでね♪」
と声をかけてくれたりと、
会う人会う人、みんな温かく私を迎え入れてくれたのだった。
そして、誰一人として、
「ここの教えはいいでしょ~」
と言ったり、
「今度、支部の集会に顔出してみたら?」
なんて、勧誘めいたこと
一切口にしなかった。

なんだか、
こんなよい人たちに囲まれ
いいお話を毎日聞かせてもらい
タダ飯までご馳走になって、
しかも
宿泊費もタダなんて、申し訳ないくらいだった。

そして、3日目の夕方、
ここを去る時には、
一抹の寂しさまで覚えるように。。。

結局、
出発前の不安と恐怖がうそのように
楽しく思い出深い3日間を送ったのだった。

この後、何年も後に
国内添乗員をやっていたとき
立正佼成会の団体旅行の添乗をしたことがあったが
そのときも、
考えられないくらい素晴らしい人たちとの出会いがあった。

宗教、とくに新興宗教となると、
ニュースやテレビで悪いところだけが取り沙汰されて
知らない人たちに大きな誤解を与えているふしがある。

もちろん、信者を騙す、悪い宗教もあるが、
宗教を信じている、個人個人は
私が出会った中では、
正しい道を進み、人間として上を目指そうと努力している人たちが多かったし、
また、
妬み、ひがみ、怒り、侮蔑、などの人として普通の感情と戦いながら
常に人を敬うことを、実践しようと心がけている
素晴らしい人たちが多かった。

あの人は、この宗教を信じているからこうだ!
と、宗教によって人を決め付けてしまうのは
私がこの国で、
コバは日本人だから。。。
と日本人という偏見だけで私を判断されてしまうのと同じ事。

まずは人間という個人レベルで人を見て、
宗教とか人種とかいうのは
その次にくるものだと思う。
それは、その人を判断する材料にするのではなくて、
その人をもっとよく理解するための材料になるべきだ。

家族にはとっても心配をかけたが、
18歳の私には、とっても貴重なネタ体験だった。

一途に何かを信じることが苦手な私は
信者になることはなかったが、
あの旅以来、
病的な鼻血に悩まされることは一切なくなった。

やっぱり、旗を作るべきだったか・・・?


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2010.05.16 Sun l 思い出 l コメント (28) トラックバック (0) l top
私がまだ、ピチピチの18歳で短大1年生の頃の話。

夏休みに、友達Sちゃんと二人で旅行をすることに決めた。(あ、女友達ね!)
場所は北陸。

でも、お互い別々のサークルの合宿があったり、
法事があったり、
家族旅行があったりで、
なかなか日程が合わない。
あーでもない、
こーでもない、
と話し合った結果、
なんと
私がSちゃんの愛知県への家族旅行に3日間同行して、その後北陸を目指すこととなった。

Sちゃんの家族は1週間の旅行の予定だったけど、
彼女は3日間だけ家族に同行すれば、問題ないけど、
この3日間だけは、死んでもはずせないという。

結束力の強い家族だなぁと感心しながら、
私が同行することとなった、Sちゃんの家族旅行の詳細を聞いてみると、

な、な、なんと、

とある新興宗教の御勤めだというではないか!!

その宗教の本部が愛知県にあって、
普段は各地にある支部で集まればいいらしいが、
年に一度、その本部に必ず行って
1週間、最低でも3日間はお勤めを果たさなければいけないらしい。

なるほど、
だから3日間なのね。。。

それにしても、
何も知らずに、いいよ~と言ってしまったものの、
新興宗教と聞いたとたん、
ビビリまくった。。。

それまで、聞いたことの無い宗教だったし、 聞いたことあってもビビルよ~
我が家はお葬式とお墓は日蓮宗だけど、
実質無宗教。
なので、宗教に対して、いまいち理解はない。
したがって
家族総出で私の旅行を阻止することとなった。

そりゃ、
一人娘が、よく分からない宗教の本拠地に3日も寝泊りするとなったら
帰ってこなかったらどうしよう。。。
と心配になるわな。

でも、Sちゃんはすごくいい子だし、
宗教に誘うことは絶対にないといっているし、
まして、そんな怪しい宗教じゃ絶対無い!と言い切っているし、
北陸旅行もしたかったし、
親に心配かけるのは申し訳ないけど、 (いや、当時は申し訳ないとは思ってなかった・・・)
ここは、Sちゃんを信じて行こう!と決めた。

両親も、
家には必ず毎日電話をかけるという約束をして、
最終的には了解してくれた。

家族の了解は得たものの
私自身、
正直言って、怖かった。。。
何を見てしまうか分からないし、
何させられるかも分からない。

まして、
「これって、かなりイイじゃん♪」
とか言って、
ハマっちゃったら、もっと怖い。。。

出発前はドキドキして、あまり眠れなかった。

落ちまくった大学の合格発表より緊張した。

そして、出発当日。

私の緊張を悟られないように、満面の笑みをたたえて
待ち合わせ場所へ。

名古屋まで新幹線で行って、
そのあとローカル線に乗り継いで、目的地を目指した。

新幹線の中で、Sちゃんが、

「それにしても、コバのご両親、
こんな得体の知れない場所に、
よく行っていいって言ってくれたね~
私にとっては普通のことだけど、
この宗教を知らない人だったら、怖がると思うよ~」

おい~、お前が言うな~!!!

でも、こんな感じで
Sちゃんは人の気持ちが分かるとってもいい子。
というか、
ただ呑気なのか??

そして、
実はこの頃、
私には大きな悩みがあった。

それは、
数ヶ月前から、鼻血が出やすくて
しかも一度出ると、止まらない。
ティッシュでは足りないので、
鼻の下にコップを当てて、鼻血を受けていたこともあった。
なので、
外にいるときは、少しでも鼻に刺激を与えないように、
鼻もかめないし
鼻に触ることすらできない。
でも、触らなくてもいきなり
ツー
っと鼻血が流れてくることもあって、
ほとほと困っていた。

病院ではアレルギーと診断されたが、
とくに薬は処方されなかった。

Sちゃんはそのことを知っていて、
新幹線の中で、
「信じられないと思うけどね、
本部の敷地内にはいると、鼻血が治ると思うよ」
と言い出した。

バカァ言ってもらっちゃ困るよ、お嬢さん!!

あたしゃあ、信じませんよ! ええ、信じません!!!

そんなこんなで、
あっという間に目的地についた。。。

こ、、、
これが、とある新興宗教の本部か!!!!

見渡す限りの広大な敷地。
遠くのほうにはキンキラキンの五重塔も。
本堂らしき、巨大な建物と、
一軒家のような小さめの建物がちらほら。
そして、
敷地内にはためく無数の旗。

その旗の一つ一つには
教祖様への感謝の言葉が書いてあった。

「ガンが治りました。ありがとうございました。」
「脳の腫瘍が消えました。ありがとうございました。」
または、
「いじめがなくなりました。ありがとうございました。」

一瞬
「鼻血が止まりました。ありがとうございました。コバ」
という旗を想像してしまったが
頭をブンブン振って、
想像を必死にかき消す。

そして、まずは
寝泊りする部屋に荷物を置いてから、
さっそく御勤め開始となる。


長くなったので
続きはまた明日。


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2010.05.15 Sat l 思い出 l コメント (18) トラックバック (0) l top
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