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初めて
英語で履歴書を書くことになった。

今まで
2度ほどオーストラリアに来て
履歴書を出す機会はあったが
いずれも
日本語でOKだった。

英語の履歴書の場合
まずは
カバーレター(挨拶文)をつけなければいけないが
それは後回し。

まずは
履歴書の名前や住所など
無難なところから始めた。

日本のように生年月日を書く必要がないのが嬉しい。

まず、
つまずいたのが
学歴。

私は短大卒なのだが、
こちらには短大というシステムがない。
一応CollegeかJunior Collegeと訳すようなのだが
こちらでCollegeだと
専門学校の意味合いが強いので
なんか違和感がある。
それに
短大の英文学部国際関係学科卒って
学士じゃないし
DegreeどころかCertificateとも書けない。

さっそく
友人のSettaさん に電話をかけ
アドバイスをもらう。

彼女はやっぱり
短大はCollegeにして
英文専攻(Major)という風に書いたらしい。

さっそく参考にさせてもらう。

今度は
職歴。

日本だったら
どこどこ会社のなんとか部に勤めてました。
と書けば済むところだが
英文履歴書だと
そこで
どんな役割を担い
何を成し遂げたか
そこでどんなスキルを習得したか
など
自己アピールが必要になってくる。

これが困った。

とくに
銀行員だったころなんて
遠い昔だし
何も成し遂げた事なんてない。
習得したスキルといえば
札束の勘定が速くできること。

旦那に助けを求める。

すると

「外国為替業務において、個人そして企業など幅広い顧客層のニーズに
 素早く、そして正確に対処することが出来る。」

「全ての取り扱い外貨を正確に把握し、外国為替における多種の業務をこなせる」

そんなようなことを
スラスラと
書き始めた。

ちょ、、、

ちょっと待ってよ。

なんか、
これじゃ、私すごい人だったみたいじゃん!!

と旦那を引き止めたが

「じゃ、この書いた中にウソはある?」

と聞かれてしまった。

大袈裟ではあるが
ウソはない。

でも、
私は
謙虚さを美徳とする典型的な日本人だ。

こうやって
自分を美化することに
なんか
罪悪感を感じてしまう。

「これくらい自分をアピールしなきゃだめだよ!」

と旦那に説得されて
書いたものは
そのままにしておいた。

次は添乗員としてのアピール。

自分のやった仕事を旦那に説明すると
これまた
綺麗に文章にしてくれる。

でも、添乗員としても自分の仕事ぶりには
誇りをもっているので
それほど
こっぱずかしい気にはならなかった。

しかし
問題は現在の仕事。

スシ屋でのアルバイトはどうアピールするんだ・・・

始めてまだ3ヶ月だし、
未だに怒られてばかりだし・・・

すると

旦那は
私が2012年2月スシ屋勤務というところを訂正し
現在 スシ屋勤務と書き直した。
働いて
まだ日が浅いというところは
履歴書に書く必要はないと言う。

そして

適切な客への対応。
スピーディーな片付け、テーブルセッティング。
キッチンデューティー
チームワークとコミュニケーション力

とスラスラと書く。

「このキッチンデューティーって、、、私キッチンで働いてないよ!」

というと
「だって、皿洗いするだろ。
 それに、この間キッチンの手伝いでアボガドとレモンを切ったって言ってたじゃん
 立派なキッチンデューティーだよ」

あ、
そうなんだ。。。

というわけで
あっという間に
私の履歴書ができあがった。

それにしても
この自己アピール力の違いは
国民性の違いなんだろうか?

確かに
ミーナなんか
学校に入ったとたん毎週のように何かしらの発表があり
自分の知っていること、調べた事
考えた事などを
人前で話す機会が与えられていた。

そうやって
こちらの国の子供達は
小さいうちから
「自分を表現する」
という訓練ができているのかもしれない。

それにしても
銀行の外為窓口業務。
お客が来て両替してくれっていうから
両替していたし
送金してくれって言われるから送金していた、
というようなものなのに
それが

「幅広い顧客のニーズに対応」

となるとは
びっくりだ。

旦那は旦那で

「こんだけ色んなことしているのに
 何でそんなに自分に自信がないの?」

と不思議がっていた。

大袈裟ではあるが
決してウソではない
自分の履歴書を眺めながら、
自分を
過大評価しすぎるのも
過小評価しすぎるのも
良くないが、
もうちょっと
自分の歩んできた道に
誇りをもって
評価してあげてもいいのかもしれないな。
そんな風に思った。

国際化社会の中で
日本人の美徳を維持するのは
難しいようだ。


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2012.04.18 Wed l 日常 l コメント (8) トラックバック (0) l top
おかげさまで
胃の調子はだいぶ良くなった。

薬を飲まないと時々シクシク痛むときがあるのだが、
それも日に日に良くなってきている。

何が嬉しいって
普通の食事が出来るようになった事。

それでも、
胃に負担をかけないように
アルコールもコーヒーも飲まず
油物や香辛料も避けているが
それでも
おかゆ以外のものが食べれることが
なんとも幸せ。

だいぶ調子も良くなってきたし、
久しぶりに出かけよう!

ということになり、

旦那とミーナの3人で
久々にボーリングに行く事にした。

ちなみにリサはキンディー。

前にも来ているので
ミーナは勝手を分かっている。

自分で球を転がす台を用意し
10042012624.jpg
レンズが汚れていたのでボケ写真・・・


自分で球を持ってきて設置している。

でも

そろそろミーナの年頃だったら
自分の手で球を投げれても
いいんじゃないだろうか。。。

というわけで、

その練習。

いきなり片手で投げるのも難しいから
まず
球を床において
それを転がす事から始めた。

旦那が手伝っている。

微笑ましい光景ではあるのだが、



その後姿が・・・・




10042012622.jpg



ケツがでかい!!!



写真を撮りながら
私が笑い転げていると

ミーナが

「今度はママが手伝って!」


・・・・・


なんか嫌な予感。。。


そして


案の定



やられたーーーーーーっ!!!!!


10042012623.jpg
しかもこんなに至近距離


この男・・・
ゆるせねぇ


まぁ、
スコアで旦那を負かしたので
良しとしよう。


先週から
ミーナのスクールホリデーが始まっていたのだが、
私の具合が悪くて
どこにも連れて行って上げられなかった。

なので、
久しぶりのアクティビティー。

とっても楽しい時間を過ごすことができて
よかった。

今度は
リサも連れてきてあげよう。


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2012.04.10 Tue l 日常 l コメント (10) トラックバック (0) l top
今日も張り切って更新するぞ!

と1時間15分もかけて書いていた記事。

どういうわけか
全部

消えてしまった!!!

せっかくの
ブログ復活第2弾だったのに~

今日はもうふて寝だ。

いや
その前に酒だ酒

酒もってこーーーいっ!!!! ちきしょー



慰めてくれる?
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2012.03.31 Sat l 日常 l コメント (12) トラックバック (0) l top
お久しぶりでございます。

忘れた頃にやってくるKovachanです。


ブログを中断してかれこれ1ヶ月以上
久しぶりに
自分のブログを開けてみたら
トップにでかでかと
スポンサーサイトの広告。
あの
1ヶ月以上更新がないと
勝手にトップに張られてしまう広告。

あれを貼られてしまうと
なんか
自分が忘れられた存在になった気に
なってしまうので
あわてて更新してみた。

さて
忙しいと言ってブログをお休みしたのだが、
何が忙しいかというと、

実は
引越しをする事にしたのだった。

そう
この6年近く住み、
壁の色から床、天井、タイルの色まで
全部自分で決め、
1から建てたこの我が家。

とうとう手放す決心をし、
決心はしたものの、
そのショックと
家探しのストレスで
ブログを書く気にもなれなかった。

たかが家だが、されど家。

今まで持っていたものを
手放すというのは
結構きつい。

それでも、1ヶ月も経つと
寂しさはあるものの
ほぼ平常心に戻り
淡々と家探しをしている。

そう、
家を手放すと決めたものの
なかなか新しい家が決まらない。

やっぱり
今住んでいるところと比べてしまい
あれが足りない
これが足りないと
欲が出てしまう。

そして、
これだ!
と思って申し込んでみると
すでに
テナントが決まっていたりする。

まぁ、
今のところ
それほど切羽詰っているわけではないので
そのうち何処か
見つかるだろうと
私も旦那ものんびりしたものだ。

そして、
そんな家探しの最中の3月上旬、
私の母が姪を連れて
5日ほど
日本から遊びに来てくれた。

姪は今年高校を卒業したので
その
卒業祝いとして
母が連れてきた。

姪とは
去年私が日本に帰ったときに
4年ぶりに会い、
その成長にびっくりしたものだが、
今回1年ぶりに会うと
なんだか
ますます
大人っぽく成長して
これまたびっくり。

自慢じゃないが、
私の姪は
AKBのオーディションに
最終選考まで残ったほど
かわいい。

18歳のピッチピチでかわいい姪は
輝いていた。

母と姪が滞在中は
家探しも忘れ
海へ行き、山へ行き
楽しく過ごすことが出来た。
でも
5日間はあっという間。

空港での別れの瞬間はやっぱり辛い。

今年中に1度は日本に行くぞ!

母と姪との別れを惜しみながら
固く心に誓ったのだった。

正直
母たちが来る前は
この辛い時期に来てもらっても困るな。。。
と思い
いっそのこと
今回はキャンセルしてもらおうかとも思っていた。

でも、
かえって
このバタバタと過ぎていった楽しい5日間が
いい息抜きになって
精神的に泥沼化していた
家を失うショックや、家探しのストレスが
軽減され
ま、そのうちいい所が見つかるだろう
という気持ちになれた。

少し気持ちが軽くなると
大事な事に気付く。

家は単なる物質に過ぎない。

自分達の好きなように建てた家だから
それなりの思い入れや執着があるものの、
例えばもし
明日事故かなんかで死んでしまったら、
あの世に家は持っていけない。

そう
以前サイキックのAさんから伝えられた父の言葉

「おまえ、死んだら金なんかないんだぞ!」

その通りだった。

持っていけるものは
自分の経験から得られる知識、思い出。

いい家を見つけることより
いい家を探している家族の時間。

家を見に行って、子供達も交えて感想を言い合ったり
「これがいいかな~」
なんていいながら
家族みんなでパソコンで家を探している楽しい時間。

そのほうが、家そのものよりもずっと価値のあるものだ。

いつの間にか心の中の
家を失う悔しさや寂しさが
どこに行っても
家族4人で過ごせるという幸せに
変わっていた。

まだ、先の見えない状況ではあるものの、
家族で楽しく家探しをして、
そして
この家を去るときは
笑顔で

「ありがとう!さようなら!」

と言えたらいいと思う。

窮地に立たされた時にこそ
大切な事に気付く
人生の皮肉。

でも、
まぁ
何とかなるだろう。

それが
私の基本スタンスだ。



それにしても、

こっそり更新したものの
読んでくれる人なんか
いるんだろうか・・・


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2012.03.29 Thu l 日常 l コメント (15) トラックバック (0) l top
昨日の続き。

セッションの残り時間あとわずか
という頃、
最後の質問をした。

「6年前に亡くなった父は
 ちゃんと成仏してます?」

そして、

サイキックのAさん、
じっと目を閉じる。

「あぁ、お父様はわりと若いうちに
 亡くなられてますね。」

「まぁ、若いというか67でしたから、 
 早かったですよね。」

そして、
目を開けて
クスッと笑う。

「お父様は、恥ずかしがりやなんですね。
 今ここにいらしているんですけど、
 普通だったら
 私の目の前に来るのに
 お父様は、私の後ろにいらっしゃるんですよ。」

あぁ、いるんだ。。。
私には全然見えないのに。。。

こんなとき、
サイキックの能力がうらやましい。

「お父様が、
 ’どうもこの世界(死んだ後の世界)ってのはよくわからねぇ’
 とおっしゃってるんですよ」

あぁ、
懐かしい父の口調だ。

イタコのように、父がAさんに乗り移って
Aさんが父の声と口調で話す
というわけではなく、
あくまで
Aさんに聞こえてくる父の言葉を
Aさんがそのまま私に伝えてくれるという形。

そして、
父は自分の経営していた会社のことで、
色々とやり残したことや、
後を継いだ兄に伝え切れなかったことが
色々あるので
それが心配で、この世にずっととどまったままだという。

会社の心配のことばかり話すので

「あの、、、
 たまには私のことも見てくれているんでしょ?」

と聞いてみると、

Aさんが、またクスっと笑う。

なんと、父は

「会社のことが心配なのに、お前のことまで見てられるか!」

と言うではないか。

あまりにも懐かしい父の口調と
死んでも変わらない性格に
びっくりした。

父の
毒舌も、遠まわしな愛情表現も
まったく変わっていなかった。

父は特に、
母への感謝の気持ちを伝えたかったらしいのだが、
それさえも、
遠まわしに言うので、
Aさんが何度も聞き返さないといけない状態で、
あげくに
「俺がそんな風に言っていたといわないでくれ」
とAさんに父が言うので
Aさんは大笑い。

父の死に際の話を私がAさんにすると
横で父が

「おまえ、そんなみっともない話を他人様にするな!」

と言っているらしいし、

私が
父の葬儀で500人以上の参列者があって、
義理で来ている人より、本当に
父の死をいたんでいる人が大多数で、
それを見て私は心から父を誇りに思った。

と話すと
父は横で
「そうだろ、そうだろ!」

得意げにうなずいていたらしい。

そして、
笑い転げるAさん。

結局のところ、
自分が死んだ事には十分納得しているし
悔いはまったくないのだが、
なんせ
自分の会社のことが心配なので
成仏する気はサラサラないという。

「あのね、兄は兄で、たとえ問題があってもちゃんと対処しているし、
 みんなも兄を応援しているんだし、
 お父さんが心配する事は何もないんだよ」

私がそういっても
頑固者の父、
まったく聞く耳をもたない。

本当に
性格というのは死んでも変わらないのだった。

ところで、
ふと思い出したことがあったので
聞いてみた。

生前父がまったく霊の存在を信じなかった理由。
父がよく言っていたのが
「俺がどんなに会社の事で困っていても
 どんなに、死んだじいさん(父の父、私の祖父)に
 頼むから出てきて助けてくれと願っても
 決して、夢にさえも出てきてくれなかった。
 だから、オレは
 死後の世界なんて信じねぇ。 
 死んだら無なんだよ!」

それをAさんに話すと、

今度はなんと!

祖父を呼んだ。

「あぁ、お爺様は高齢になって亡くなられてますね。」

「はい、たしか85くらいだったと思います。」

そして
私が話した事を祖父に伝えたらしい。

そして、祖父の答えが

人は、その人生で必ず、乗り越えて、そして学ばなければいけない課題というものが
宿命として決められている。

その学びの邪魔になるような手助けは
する事はできないし、
決してしてはならない。

父は祖父の死後、
いろいろな事で本当に苦労した。
祖父はそれを見ていて、助けてあげたかったのだけど、
その苦労こそが
父の乗り越えて、学ばなければいけなかった人生の課題だったので
祖父はただ
見ているしかなかった。

ということらしい。

人間、
順風満帆だけの人生はありえない。
大きな壁にぶつかり、
出口の見えないトンネルに彷徨いこむ事もある。
でも、
そんな時、
自分はなんて不幸だ!とその状況を嘆くより、
これは、
今回の自分の人生でクリアしなきゃいけない課題なんだ!
と思えば
気持ちも前向きになれる。

大事な事を教えてくれてありがとう
おじいちゃん!!

その後
私には見えも聞こえもしない
Aさんと祖父、父のやりとりがあり、
父は
納得のいくまで会社を見守り、
自分で準備ができたとき、祖父に導かれ光の世界(成仏)に行く事を約束した。

Aさん、
「それにしても、お父様は頑固ですね~(笑)
 私が光の世界に行くお手伝いしますよと言っても
 ’あんたの好意はありがたいが、オレはまだそっちにはいかない!’
 と言ってきかないんですよ」

私には
死後の世界は分からない。
でも、
なくなった魂が
残した者の心配をしながらこの世にとどまるより、
Aさんのいう光の世界というところに行ったほうが
ずっと楽になれることは分かる。

父は父の意志で、こちらにとどまると言っているので
それはそれでしょうがないが、

死んだ人の供養って、
葬式だの法事だのでお経を唱える事でもなく、
命日には忘れずにお墓参りをする事でもなく、
毎日仏壇にお供え物をする事でもなく、
ただただ、
残されたものが、死んだ人に心配をかけないように
幸せに過ごしていく。

そういうものなんだなと
痛感した。

もちろん、大切な家族を失う事は悲しい。
でも、
たくさん泣いた後は
「もう、私は大丈夫!」
その言葉のほうが
何百回と唱えるお経よりも
ずっと亡くなった人にとっては嬉しいものなんだろう。

それにしても、
せっかく6年ぶりに話をすることが出来たのに、
会社の事や
母の事ばかり話す父。

「せめて、最後に何か父から私へのアドバイスってないんですか?」

と聞いてみる。

Aさんを通して父からの言葉。

「旦那をしっかり支えてあげなさい。そして、二人で困難を乗り越えていきなさい。」

ふだん
何かあると
’こんな男別れてやる!’
なんて思っていただけに
ちょっと
ギクッとした。

それでも冗談めかして

「なんだ、あんな旦那別れろ!とても言うかと思った~」

と私が言うと

再び笑い転げるAさん。

父は何を言ったのかと思ったら

「お前、別れてどうするんだ!ほかにもらいてなんかいねぇだろっ!」

あぁ、
懐かしい父の口調だ。

ってか、
6年ぶりに話をして

「お前の事なんか見てられっか!」
だの
「他にもらいてなんか、いねぇだろ!」
とか
普通言うか?
しかもあの世から。。。

そして、父からの
最後の言葉

「おまえな、死んだら金なんかないんだぞ」

私のお金や生活の事に関する旦那への不満は
父にはお見通しだった。

そして、
生前
会社経営者だっただけに
お金に深く関わっていた父からのその言葉は
私の心に深く深く突き刺さった。

この世で生きていくために
ある程度のお金は必要だ。
でも
お金のために犠牲になるものがあっては
ならない。
まして
どんなに有り余るほどのお金を持っていても
死んだらあの世に持っていくことはできない。
持っていけるものは、
生きていた間の経験と思い出だけ。

「死んだら金なんかないんだぞ」

たった一言だが
私のこれからの人生の指針となる
大きな言葉だった。

あの世からの言葉は説得力がある

ありがとう、お父さん
ありがとう、おじいちゃん

帰り際、Aさんに
「いいなぁ、私にも父の声が聞こえればいいのに・・・」
そういうと、
「聞こえたからといって、いいことばかりじゃないんですよ」

サイキックの能力がある人は、
聞きたいことばかりが聞こえてくるわけではない
という苦労もあるらしい。

Aさん、ありがとう!


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2012.02.18 Sat l 日常 l コメント (21) トラックバック (0) l top
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